Journal

J'écris mon journal.

夢と現実

夢、よく見ます。


生まれてこのかた、夢は、ずいぶん見て来たし、ひょっとして、夢の世界が実の世界で、今、現実だと思っている世界が嘘の世界かもしれない、などと、小さいころから思ったりしてしまいます。WHO KNOWS?


夢の中では、本当に、真剣に、現実だと思ってしまいますし。


問題…。夢の中での財産は、こっちの世界に持って来られない。


まるで、今生きているところから、死の世界には、洋服一枚、体さえも持って行けないように。



死んだとき…、夢の世界の中に、缶詰になり、そこでずっと、暮らすのかもしれません。



私は、夢の中で、よく、ピアノの練習をするのですが、起きたとき、ぐったり疲れきっていて、又、新しい一日、ピアノを弾くのが、なんだか、可笑しくて、笑ってしまいます。


寝てるときぐらい、ゆっくり休みたいものです。



昨夜の夢では、なぜか、コンクールの当日で、これから、5曲ほど弾かなければならなのに、ぜんぜん暗譜していない、という、ひやひやもの。


それも、この10年ほどさらっていない曲ばかり。


夢の中では、この世でまだ出会ったことのない、しかし、夢にはよく登場する年下の男子が登場。必死に、案を練ってくれます。


第一曲目のバッハは、"イタリア協奏曲"だけれども、お願いして、曲目をバッハ=ブゾーニの"トッカータとフーガニ短調"に変えてもらえないものかとか、


二曲目のショパン エチュード、”木枯らし”は、いくら、何年も弾いていないからといっても、集中して、が~っと、弾いちゃえば、ぜったい、大丈夫、だ、とか、


三曲目のベートーベン ソナタだって、"告別"は、何度も演奏しているんだから、怖がらないで、"ブルドーザー"になったつもりで、がんばっちゃえ!とか。



頼もしいアドバイスをくれるわけです。



そして、四曲目は、なぜか、未知の曲、楽譜は手にしているものの、現実の世界にはありえない曲。


プロコフィエフのソナタ"第10番"なんて、あるわけないのに、その楽譜が手元に。


夢の中では、なんて、美しい、SPORTIVな曲!と感激しながら、弾いてるわけです。


この楽譜、現実のこの世界に、運んで来たかった!


今となっては、うすらうすらしか、覚えていない曲、向こうの世界では、はっきり弾いてました。素晴らしいと思いながら。


ああ、むなしい。もう1度弾きたいよ!その幻のプロコフィエフのソナタ!


そして、5曲目は、その男子が第二ピアノを受け持ってくれるという設定で、コンチェルトを弾くことになっていましたが、シューマンだったか、ショパンだったか、ラフマニノフだったか、ハチャトリアンだったか、忘れました。


ひどく、覚えている彼の一言、


"僕だって、同じコンクールの用意しているというのに、なんで、君の愚痴ばっかり聞かなきゃいけないの?


僕だって緊張でドキドキだっていうのに。


第一曲目は、初演のヴィバルディ"STABAT MATER スタバ マテール”をピアノソロ用にアレンジしたものを弾くから、気が気じゃないんだよ。”


とのたまっていた。その楽譜、もし、存在するなら、ほしい!


というか、夢の世界から、持ち帰りたかった。


しかし、練習もしていないのに、棄権もせず、これから、すべてのリサイタルプログラムを弾こうって言うのだから、我ながら、よく、覚悟していたなあ、と、感心してしまいます。


戦国時代の武士みたいに、度胸が座っていたなあ。


夢の中で、集中して、その瞬間、全てのエネルギーを注げば、ミスなく弾けるだろう、などと、すごいこと、思っていましたから。


いざとなれば、そんなとっさのアイディアが沸くものなのですね。


この世でも、そういうパワーが出てほしいものですし、それを生かして行きたい。


怠け者の私、夢に諭されました。


でも、昨日の続きの夢がまた見られるでしょうかね?


謎です。


でも、励ましてくれた男子には、又、夢で再会したいですよ。

と、このように、私の二重生活は続くのであった。


(日ごろ、常に疲れている所以である。)



話は変わり、消しごむコレクション、ウイーンでの戦利品。


楽器を演奏する子供たち。

アナスタシアのパリ便り

もう1つは、この消しゴムを使い切ると、中から、鉛筆削りが現れる。


消しゴムがあるうちは鉛筆削りとしては使えないところが面白い。
アナスタシアのパリ便り






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心の処方箋

惜しくも2年前に亡くなった、心理学者の河合隼雄氏の作品、”こころの処方箋"(新潮社)、すっきり書かれていて、あっという間に(1日で)読んでしまいました。



大学の心理学の授業では、河合氏著、ドイツの昔話を分析した作品"昔話の深層"をうちの大学の教授使ったのを懐かしく思い出しながら、楽しく読みました。


心を打つものとの出会い

心を打つものとの出会い ←これ、まだ大事にとってある、懐かしい本


さて、”こころの処方箋"です。


第1章の、"人の心などわかるはずない”から始まり、全部で55章まであるのですが、1章につき、4ページという短かさなので、枕元などに置いておき、毎晩すこしずつ読むのもいいでしょう。



心理について興味のある方には、ぜひ、手に取っていただきたい1冊です。



すべてをここで語ることは不可能なので、今日は、第30章の、"同じ運命でも、演奏次第で値段が違う"について。



ここでは、人生を、与えられた1冊の楽譜にたとえ、そこに、ベートーヴェンの交響曲"運命"を見本にとって、説明しています。



彼の言いたいのは、人生では、人それぞれ、演奏は自由に任されていて、演奏次第でまったく異なるものになる、失敗したとしても、真剣にやれば、それなりに、面白い結果になる、ということです。



この中で、フルトベングラーの話を、1つのたとえとして、ジョークだと思いますが、あげています。



かつてのドイツの大指揮者フルトベングラーの指揮する"運命"は、名演奏として世界でも珍重されていたのですが、その彼がある日本のオーケストラと演奏することになり、舞台練習のとき、楽員たちを困らせる出来事が起こりました。


彼は、始まるとき、両手をやたらにぐりぐりに動かして、5分ほどしてからやっと、始まりの合図をするので、なかなか、最初の"ダダダダーン!”が合わないのでした。



指揮者といっても、哲学者顔負けの人で、"道端の1本の雑草にも意味を見出す"などと言われたお方。



マネージャーがあわててドイツに国際電話をかけ、あちらの楽員にどうしたらいいか聞くと、


"何も考えず、彼の両手が頭の上で交叉される瞬間があるので、そこから、”1,2,3”と数えて、"ダダダダーン”とやればよい。”とのこと、マネージャーは大喜びで、日本の楽団に伝えたはいいが、興奮していたため、

"1,2,3”というところを、”1,2、の、3”と半拍多く、伝えてしまったそうです。



演奏会のとき、楽団たちは綺麗に合ったのにもかかわらず、指揮者とは、半拍ずれてしまいました。



演奏が終わると、フルトベングラーは、気難しい顔で引き上げてきました。



どんなにしかられるか、気が気でなかったところ、


指揮者いわく、



"この国では、運命が、半拍遅れて戸をたたくのは、どういうことなのだろう?”


と言って、深く考え込んでしまったと言うことです。




冗談はさておき、著者が言いたかったのは、ようするに、たとえ、人間の運命が決まっていたとしても、その運命の生き方によって、まったく、人生は変わってしまう、ということなのでした。



極端な話では、双子として生まれても、片方は、大司教、もう1人は、大盗賊となった例があるように。


司教の方は、地位に甘えて、贅沢三昧に暮らしたため堕落し、一方の盗賊は、罪を悔いて、後は、貧しいながらも、聖者のような暮らしをするかもしれない、運命とは、生き方次第で、価値が、かなり異なってくるのだ、という、著者のユーモアのあるたとえ話が、なんとも、楽しいです。



他の54章も、心理学だからといって、気張ることなく、リラックスして読むことができます。


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